因幡の白兎伝説は日本初の治療と言われる
古事記に記される因幡の白兎の神話は、大国主命が毛皮をはがされた白兎の話を聞いていくところから話が始まっていきます。
淤岐ノ島にいた白兎は気多の岬に渡ろうと、海にいるワニ(鮫)をだましたため捕まえられ、毛皮をはがされてしまいました。
白兎が痛みに泣き悲しんでいると、先に来た大勢の神々が、「海水を浴びて風に当たって寝ていろ」と言うので、そのとおりしたところ、その体はさらに酷く炎症してしまいました。
大国主命は「今すぐあの川に行って真水で身体を洗い、生えている蒲黄の花粉を敷き散らしてその上に寝転べば、お前の体はきっと治るだろう」と指示し、おかげで白兎の体は元どおりになりました。
この伝説にある気多の岬は、鳥取市の白兎海岸とされ、白兎海岸の沖には淤岐ノ島もあります。淤岐ノ島には鳥居があり兎の形に見えます。
また近くの白兎神社には、赤裸の白兎が身体を洗ったとされる「不増不減の池」があり、いかなる天候でも水の増減がないといわれています。
こころやさしい大国主命が白兎に施したのが日本初の治療といわれ、出雲が医の神の地とされる由縁です。
古代出雲薬草学が示す出雲の高い医薬レベル
出雲国風土記には61種類もの薬草名が記され、播磨国風土記の7種類と比べると圧倒的に多いことから、古代出雲には非常に高い医薬レベルにあった可能性が示唆されます。また神話においても、大国主命が真っ赤に焼けた大岩によって殺され、キサガイヒメとウムガイヒメの看護によって蘇る際に用いられた赤貝の殻の粉や蛤の汁には、傷を覆う効果を持つキチンや、炎症を抑えるタウリンなどが多く含まれることからも、優れた治療や看護の技術があったことがうかがえます。出雲では、いにしえの時代から薬草や薬の材料となる赤貝や蛤が容易に入手できる豊かな自然に恵まれている特別な地と言えます。
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十六島(うっぷるい)
出雲市十六町の海岸に突出した岬で、日本海の荒波にもまれた大岩石や
奇岩からなる山陰屈指の海岸美を誇ります。厳しい冬の一時期のみに
命がけで採取される十六島海苔は、最も歴史が古い海苔で天然岩海苔の
最高峰といわれています。
「うっぷるい」の語源は、神代の時代に少彦名命がこの地ではぎ取った
海苔を、何度も打ち振り大社に持参したことから「打ち振り」がなまった説や、
古い朝鮮語で巨大な岩を意味する「ウルピロイ」、そして一六善神などの
諸説がありますが、十六島の漢字は海苔島が十六あったところからあてられたとも言われています。古くから献上品としても愛され、徳川家光が御水尾天皇を二条城に招いた際に「二条城御献立」にも使用されるなど、出雲のいにしえからの歴史と自然を今に伝えるにふさわしいといえます。
日御碕
日御碕は、出雲大社の北方、島根半島最西端に位置する碧い海に奇岩や
絶壁の続く岬(国立公園)です。南方には中国山地のやまなみ、北方には
隠岐諸島を臨むことができます。
夏の碧い海とは対照的に、神在月の頃によく見られる、雲間から差す斜光が
照らし出す海面の輝きと刻々と変わってゆく雲と太陽光がつくりだす
独特の景色を前にすれば、ここ出雲がまぎれもなく神々の集う地で
あることを思わせます。
また、断崖にそびえる日御碕灯台は、1903年に設置され、高さは43.65m、
海面から灯塔の頭上までは63.30mと日本一の高さを誇り、紺碧の海に
堂々と映える白亜の灯台です。光度は48万カンデラで夜間約40km沖合
まで達し、100歳を越えた今なお現役で海の安全を守っています。
外壁は美保関町から切り出して使用した美しい石造りとなっており、
内壁のレンガ造りは、外壁と空間をあけた特殊な二重構造となっています。
その歴史や文化的な価値の高さから、平成10年に「世界の歴史的灯台百選」
の一つに、平成25年に国の登録有形文化財に選ばれました。
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鰐淵寺の紅葉
鰐淵寺は、594年信濃国の智春上人が遊化して出雲市の旅伏山に着き、
推古天皇の眼の病を治すために当地の浮浪の滝に祈ったところ
平癒されたので、その報賽として建立された勅願寺であるということです。
平安時代末期には修験道の霊地として広く知られ、室町時代まで栄えたと
いいます。寺宝はきわめて多く、銅造聖観世音菩薩立像などの重要文化財も
ありますが、現在はほとんどを古代出雲歴史博物館に寄託されています。
また、弁慶が18歳から3年間に修行をした寺としても有名です。
その後京都の比叡山へと移り、源義経に出会ったと伝えられています。弁慶は、壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした後に再び出雲の地に戻り、鰐淵寺に身を寄せました。